To be naked is not a grief

Denmark放浪記・奔放な人生を祝って

猛暑と出会えない夏

猛暑を経験しなかった夏は生まれて初めてかもしれない。

八月半ば、日本から遊びに来てくれた人と長袖を羽織って街に繰り出した。その日は突然船に乗る流れになったのだが、船内に酒瓶を持ち込み安酒場にしているデンマークの人たちがそれはもう陽気に踊っていた。最終便ではスウェーデン(helsingborg)を背にしてすべてを解放するようにカントリー・ロードを大熱唱。歌の速度が上がり、hey!hey!と合いの手が加わり、ほろ酔いで円形が乱れる。それでも踊りは止まらない。(え?この曲ってこの使われ方でいいんだっけ?)と驚きながら私たちは新しい体験、「カントリー・ロード・盆踊り」を履修した。

デンマーク滞在三ヶ月を迎え、教育機関等の視察ツアーに参加したことがきっかけで久々に四六時中日本語で交流をする機会があった。「日本が恋しくならない?」と聞かれて「ならないですね!」と即答するのだが、唯一日本の踊りだけは恋しい。死者と共に生を祝うための盆踊りもそうだし、ストリップでいえば、九月前半の道頓堀劇場の香盤が素晴らしすぎてコペンハーゲンから渋谷に向かう夢を見てしまったほどだ。

後日改めて記事にする予定だが、この夏はスウェーデンオーストリアを旅行した(ストックホルムのダンスミュージアム舞台芸術ミュージアムに感動したので是非皆さんにも行ってほしい)。この秋はチェコ、イタリア、フランスを訪問する。そろそろ貯金が底をつくため、なんとか稼いで(はて、どうやって?)、冬にはドイツ、ポーランド、イギリス、スペインにも行きたいと考えている。 

ストックホルムのダンス・ミュージアム

舞台芸術ミュージアム(ダンスミュージアムと同チケットで入れる)

ザルツブルク音楽祭での野外サロメ上映。北村氏のコラム(https://wezz-y.com/archives/50361)を事前に読んでから鑑賞した)

日本という島国を離れて、他国と陸続きのヨーロッパの歴史的建築物の中にいると戦争の痛ましさ、喪失体験と共に生きる人の逞しさを鮮明に想像する。六年前のイタリア渡航では精神科病院を廃止した国の精神保健の在り方から愉快さを学び、脱施設化に至る運動と政治の畝りに感動するだけで終わってしまったけど、今回は何をどうやって持ち帰れるかという問いが強くある。

 

先月からお世話になっているAirbnb宅で「ヒロシマ」図録を発見する。ホストと元夫(彼女は「子どもたちの父親」という表現をしている)は何度か日本を旅したことがあるそうで、その時のお土産の畳三畳がリビングに無造作に放置されている。原爆については小学生の頃、図書館で読んだ漫画「はだしのゲン」が私の最初の記憶。同居していた祖父母(故人)はあまり戦争の記憶がなかったが、ジャーナリズムに関わる父が被害のみではなく戦時加害者としての日本の歴史をたびたび教えてくれたことは有り難かったとつくづく思う。

働くようになってからは、DV(家庭内暴力)、児童虐待、そして戦争、暴力の後遺症としての精神疾患・トラウマが時に人を被害者にも加害者にもすることを痛感してきた。いないことにされる、忘却される、変えられない特徴を嘲笑われる、意思を確認されずに否定される、存在を尊重されないという経験の積み重ねは、その人の生きる力を削いでいく。何に傷ついたのか、何が自分にとって譲れないものなのか、何度も何度も説明しても不思議そうにポカンとされる時、相手にとって愛玩しやすい振る舞いを求められる時、そこにあったものが好意や善意でどろどろに甘くコーティングされた幻想だったのだと気づく。何度経験しても哀しいがそれは真実なのだから仕方ない。それを見なかったことにしたらこの生から彩度が失われてしまう。それだけは嫌だ。

 

また、海外にいると外見的特徴でアジア人とみなされ、ジャパニーズガール♡と呼ばれ、アジア人同士で比較されることもあるので心の中は複雑である。肩の力を抜いて暮らしているつもりだが、もし粗相をすれば「日本人だから」とみなされる不安が一切ないとは言えない。白人男性の隣を歩く時に初めて知る自分の感情にも対峙する必要も出てくる。個人的経験ではあるが、北欧以外のヨーロッパでアジア人であることを小馬鹿にしてくる人もたまにいる(言語力が上がればもっとそれに気付くことになるだろう)。しかし日本にいた頃から同じような状況、たとえば性的少数者を未知の生き物みたいに扱う人の前で喉元がヒュッとなる経験を知っているので悲しいかなそこまで痛手ではない。ただ、自分だって北欧で生きる人やその歴史を雑にまとめていた。実際は多くの人が見かけや言葉ではわからない色んなルーツを持っていて、彼らのアイデンティティも様々。自分の狭い物差しで◯◯人と他人を括ることには慎重でありたいし、やはり日本で性暴力を受けた韓国の女性アーティストに真っ先に「良い日本人もいるから日本人を嫌いにならないで」と懇願する態度からは距離を置かないといけないとも考える。

 

こちらに来て連日流れてくるのが、男児への性暴力に関する報道である。私にも十歳に満たない頃の被害がいくつかあり、アミューズメントパークで着ぐるみを着た大人に胸を揉まれた記憶が急に蘇る。子どもの権利を力強く提唱する国でようやく安堵できている側面もあるのかもしれない。ホストの子どもたちが外国人である私をあたたかくハグしてくれる時、思わず泣きそうになる。

戦後長きに渡るジャニーズ事務所の性暴力が軽視にされていたことと、第二次世界大戦を経験した男たちの心の傷/PTSDが軽視されていたこと、戦時性暴力が隠蔽されたこと、「自分はそっち系(同性愛者)はないですから笑」とネタにしたり「性別を偽る犯罪者が増える」という偏見を拡散する人たちの軽率さは地続きであると考えている。この間も社会福祉士養成学校で講師が男性同性愛を揶揄し教室で笑いが起こったという話を聞いた。十年前から変わらない人権意識に本当に呆れてしまった。大学教員や講師の皆には、誰かのジェンダーセクシュアリティを嘲笑うような同僚がいたらハッキリと注意してほしい。決してその場の空気に合わせて笑わないで。

性暴力とは、性的事柄に関する選択そして意思決定を蔑ろにされるということ、(悪意の有無に関わらず)結果として自他の境界を侵害されること。それは女性のみが取り組む問題ではなく一人ひとりに自他の権利と欲望との付き合い方を問うものである。他者の性暴力被害の告白に胸を痛めて連帯して終わりという態度に「?」が浮かぶ。あなたはどうしたいのか、と見つめ返せば目を反らされる。欲望に対する自問自答(したいこと、したくないこと、できること、できないこと、必要なこと、不要なこと、それを保留にすることを含め)を疎かにしないでほしい。何をして何をしないのか、何を語り何に沈黙するのか、知識をつけて選択しその責任を引き受けることを疎かにしないでほしい。

 

夏が終わる前、ノンバイナリーとAスペクトラムに関する研究調査に協力した。赤裸々に幼少期から今までの感覚や試行錯誤の日々を語れて大変心地の良い時間だった。私を女(女体でもなく、その人のイメージの中を生きる女)と解釈したい人と性的行為をすることは、労働や特別な枠組みの中なら特に傷付かないが、平時は本当に厳しいし、やわらかい部分を踏み躙られたなぁと感じる。あなたは私ではなく誰を見ているのだろう。それでも誰もが間違えるし完璧ではなくて揺らぎの中を生きている。だから私は叫びすぎて乾いた喉を新たな水分で潤わせ、あの森の光を浴びに行く。思い通りにならない現実に対して豊かに折り合いをつけられる人、加害者意識に酔うのではなくて傷くこと失うことの痛みを過度に恐れず他者と関われる人ってこの社会にどれくらいいるんだろう。わからない。

 

デンマークでは自然や建築の美しさを共に味える人とばかり過ごしている(たぶん上手く話せないためにそれが最善策になっている側面あり)。林の中を散策したり、屋根に登って桃色の夕陽を眺めたり、地面に寝そべって流れ星を探す。公平に人を包み込み愛する図書館に守られに行く。その感覚の近い人と余生を過ごしたほうが良いのだろうという解が導かれる。あなたが好きだとか一緒に居たいとかそういう言葉は実はなんの支えにもならなくて、言葉を失うほど美しいものを一緒に味わえたその瞬間に未来の私が支えられている。それ以外、この生を支えるものはいらないのかもしれない。