To be naked is not a grief

Denmark放浪記・奔放な人生を祝って

帰国した(春)

何か突然のアクシデントが起こったりして、待っていました緊急事態という感じで、帰国できない未来を願っていたのだけど残念ながら日本に戻って来てしまった。

 

クリスマスから止め処なく打ち上がる花火、一家の亡命を描いたサウンド・オブ・ミュージックを見た後にパレスチナでの虐殺と沢山の亡骸について児童精神科医と語る元旦、三島由紀夫を愛する若い友人と観た『怪物』、ロンドンで再会した奔放な女たち、イデオッツの夜、帰国日の朝まで一緒に過ごした愉快なナンパ師のこと、いろいろなことがあったのにブログに記せないまま時間が過ぎてしまい、人生でもっとも豊かな、暗くて長い冬の記憶はまだ私の体内にある。

帰国してから三週間ほどは、毎晩デンマークの日々が恋しくて涙する毎日だった。一ヶ月経った今では涙は引っ込んで、生気のない顔をしなくなった、やけに心の安定した私が新しい職場で忙しなく働いている。

毎朝七時起きの定時出社なんて無理(20代は実際に無理だったので離職するしかなかった)と怖がっていたけど、稼がないと生活できないし会いたい人に会えないから意地でも起きなくてはならないという自己暗示が功を奏し、なんとか一日を強制終了させて布団に入る習慣ができつつある。帰国してから驚いたことといえば大量の物品にあふれた商店街やデパートに惑わなくなったこと。私の人生に必要なものは多いけれど、欲しいものは多くはないことを理解して、欲しくないものを衝動的に所有することがなくなった(しかしすでに持っているものには情があるから手放せない)。

夜七時には今日は上手く眠れるかについて悩まないといけないなんて思いもしなかった。その他にも生活の変化は多々ある。たとえば、誰かに運ばれなくても自発的に風呂に入れるようになった。起床してすぐに低脂肪乳に浸したオートミールとレーズンを食べて、昼は数粒のチョコレートと美味しいお茶のみ飲み、ほどよく腹が空くので夜は意欲的に自炊して、そのルーティンを繰り返す(稀に誰かと会う時のみそれを乱す)だけの美しい日々。水筒生活に切り替えれば一週間後には地面に落っことして滑らかな筒のモスグリーン色が傷だらけで、ヘッドホンで耳を鍛えながらの移動生活に切り替えれば毎日のようにイヤリングを片方だけ落っことす。失くなったものたちが代わりにあなたの厄を落としてくれているんだよ、という言葉に納得しようとするが少しだけ悲しくもなる。だとしたら私の人生は毎日厄日で、すれすれのところで致命傷を回避しているのかもしれない。「あのときあんなに苦労したのだから今がこんなに美しいのだ」という思い込みも止めることにした。やり直せない、ドラマもない、なんてことない日を淡々と祝おうと決めて帰国している。「いつか私は報われなければならない」という呪いとはお別れだ。

 

帰ってきてよかったと心から思えたのは、約一年ぶりのスト活、四月の第一週末に岐阜でかけがえのない時間を共有できたためである。誰かに会いたいと伝えるのも、会いたいという気持ちが持続可能性のある欲望だと信じることも、私にとってはとてつもなく難しいことだけど、劇場は例外である。裸になれる踊り子あるいは裸になりたいと願う客に会いに行っている。そして盆の前にいつまでも居座っていたいと思う。たとえば仲違いしている人がいても、踊り子の圧倒的な裸の強度の前では皆平等だから、個人間で接触する必要も過去の関係性を掘り下げる必要がないまま同じ空間に居られるかもしれないとも考えたりもする。

その日は駅から遠い民家に泊まり、止まらぬ深夜の奔トークに腹を抱えて笑い、すぐ明けてしまう夜を見限らずにスト客三人でそれぞれの布団に入った。翌日はまた別の三人の組み合わせで劇場が開くまでの間に花見をすることになった。祭りで賑わう街を背にして、私たち以外に誰もいない静寂とした、かつて海が在った公園で過去の記憶を一緒になぞるような小旅行をした。脳がこてんぱんに癒やされてしまうような心地良い時間って、なんの期待もされていなかった更地に偶発的に生まれるものだ。油断はできないし渇望したところで手に入らない。すうっと流れるようにやってくる日があり、こういう日があるので今も私は生きている。口角はずっと上がり、吹けない口笛の音色が鳴ってはそこらじゅうに飛び跳ねている春。生の営みも未来も奪われ、私は自由だという感性を封じられ、活動を制限され、過去の痛みを蔑ろにされている人たちのいる春。どちらも同じ季節。

 

さて、書き損じのデンマークの日々については五月の文学フリマ東京にて新作zineとして世に出そうと思っている。宣言通り貯金はすっからかんになり今は製本代を支払えないくらいお金がないので、初版は家庭用プリンタで印刷してホチキス止めになりそうだ。経済的なこともあって個別に誰かと一対一で会う余裕がない(※スト客は例外)ので会場(※または劇場)でお会いできたら嬉しいです。