To be naked is not a grief

Denmark放浪記・奔放な人生を祝って

世界のこと日本のことそしてあなたのことも見えていなかった

「あなたのブログを10年ほど読んでいました」と教えてくれる人たちと出会うと、言葉にならない不思議な感情が私の肉体を離れては戻ってくる。世の中には物好きな人もいるもんだとか、生きているとこれほど良いことがあるのかとか、すぐに打ち解けて急接近できてしまう人との軽快さも好きだけど長い間気付かれずにそばに居てくれた人との時間には叶わないなとか、色々な感情が隅々まで伝ってその輪郭をなぞるようにゆるやかに交錯する。

 

同じように私も10年以上読み続けている(2014年以降更新されていないので、読み返しているという表現が正しいかもしれないが)ブログがある。それが詩人・井上瑞貴のブログだ。

それは、底も天井もなくなってしまった内的世界とこの社会を接続する方法を探すことに十年あまりを費やしてしまった私の*1、生き延びる指標の一つとなり、美を愛する感覚を呼び起こしこの魂を助けた。「外傷は癒されてはならない」という戒めのような誓いは、ここから深く影響を受けたものだ。過去と距離を取れるようになり、日本を離れて束の間の平和を手に入れた今、当時きちんと読めていなかった記事を読めるようになった。既に20年ほど前の日付で、世界で起きている紛争、殺戮、について書かれた記事がいくつもあることにようやく気付くのだった。

(以下「テロ」で検索した記事一覧)

http://freezing.blog62.fc2.com/blog-entry-776.html?q=%E3%83%86%E3%83%AD&charset=utf-8

 

これまで自分の心的外傷への応急処置で精一杯だったから、世界の出来事に目を向けられるようになるまでにこんなに時間がかかってしまった。今月に入りガザに関する報道が毎日、目に、耳に飛び込んでくるようになって、勉強会にて詩人マフムード・ダルウィーシュ (محمود درويش 、Mahmoud Darwish)という故人の存在を知る。日本語訳の詩集はまだ読めていないけど、彼がヒロシマを訪問した記事やパレスチナ表現者たちの情報が検索すればいくつか出てくる。さらに英語圏なら情報も多いようだ。

9月半ばから1ヶ月間、デンマークの他の島や近隣諸国を旅していた。途中でコロナにも罹患し、上着を失くし、最安列車に乗り遅れて大損をするなどしたが、充実した毎日だった。10月10日、世界精神保健デー企画のイタリア出張で出会ったミャンマーの芸術家たちからは、クーデターの影響が続く、たくさんの人が亡くなった土地で「NO TRAUMA NO ART」というスローガンを掲げながら現地で創作を続けアートワークショップを行っていることを聞いた。そしてプラハでは同世代の女性たち*2を訪ねた。上手く話せなくても、相手の国の歴史を可能な範囲で学んでから会わねばと思って、ドイツの支配下にあってチェコ語の使用を禁じられていた時代に、人形劇など文化芸術分野だけはチェコ語を使うことが許されていたこと、それが民族復権運動につながったことを事前に読み込んだ。かつて劇作家でもあったチェコのハヴェル大統領は「演劇はつねに時代の精神的な中心にあらねばならない」と語ったそうだ。日本はどうだろう?日本で文化芸術の力を信じている人はどれだけいるだろうか?

サバイバーがすぐ隣にいると仮定した時、全く同じ言葉を世界に発信できるだろうか、という問いがいつだって降りかかる*3。可哀想な人とみなされ続けること、被支援の対象としかみなされないこと、清い存在を求められ続けることは、大抵の場合、その人がその人として生きる力を奪う。ジェノサイドを理由に数え切れないほどの死者を見送った人、生まれ育った土地には戻れなくなった人(帰還権の尊重*4)、あるいは逃げるという選択肢を奪われ続けた人と出会う時、類似経験を持たない自分自身の権威性、性根の卑しさ、格差が露わになり、私の皮膚を這いつくばっていく。支配的な、救済目線の関係からどう距離を取れるだろうか。もしかすると、人と人が平らな場所で出会い直せるのは芸術について語える時のみかもしれない、しかしそれも幻想だろうか?なんて、様々な人が行き交う道を、唸りながら歩き続けるしかなかった。

 

出典『 ヘイトクライムに抗う―憎悪のピラミッドを積み重ねないために―』(2020/12/2)https://d4p.world/news/7867/

殺戮、自死の報道、命懸けの告発、が大きなうねりとなり多くの人の心を掴んで離さない、その熱を浴びていると「世界はこんなにも悲惨なのだから、戦争のない地域での個人の傷なんて・・」と比較の論理を持ち出す人の心情を、ヨーロッパに来て改めて想像することができるようになった*5。それを私は支持しないというか、それを支持しないために自分の心もしっかり守る枠組みが必要になる。外側の痛みと内側の痛みどちらにも蓋をしないためには、自分が壊れない範囲の境界線を引き直しバランスを取らないといけない。案外それが大変で、今月デンマークに戻ってからは睡眠に支障が出ている(夜中3時過ぎまで眠れない、あるいは夕方に糸が切れたように数時間寝込む)。多少臭っても同じ服を着まわして、毎日風呂に入らなくていい海外の価値観がありがたい。デンマークの秋は想像以上に寒くあまりに暗い。週の大半は自室に引きこもり、抑うつ状態の中で、食パンを齧りながら、日本のリモートワークや優先すべき対応を毎日行っている。(週2くらいアクティブに活動できるという具合だ。)

 

何度か書いているが、日本社会を離れて初めて、「日本人(アジア人)」であることをとても意識するようになった。特に初対面の人から決まって、個人ではなく「日本人的なもの」が会話の引き合いに出されることに違和感を持ちつつ、他者に同じことをしがちな自分にもげんなりする。そんな中で出会ったリナ・サワヤマの、ミックスルーツを出発点としたインタビューがとてもよかった。

www.bbc.com

同時に、いくら私が個としての交流を望んだとしても、自国(ルーツを持つ国)の政治家による言説や方針、あるいはメディアが生み出した国民性/民族性に対する漠然としたイメージが、海外で暮らす自分の利害として跳ね返ってくるという現実があると知る。「(特定の宗教や思想と結びつきにくいとされる)日本人」とみなされれば、一方的に命を狙われるような暴力*6には遭いにくい。それは国際社会の中での日本の立ち位置があるからこそだとも痛感している。否応なしに、日本という国(またはアメリカ)に守られている、という感覚。

そして「幸福な国」「世界に誇れる国」「治安の良い国」というのも、選択を誤り続ければ崩れ去るということ。日本も民主主義国家を名乗りそのための司法やシステムがある以上、自分たちの選んだ政治や社会に対する責任が発生する(「投票率が低いから」では済まされない)。無関心でいることで、あるいは誰かに責任転嫁し自分を顧みなくて済む判断をし続けることで、反対意見や複雑な思いを抱えた意見に耳を傾けないことで、取り返しのつかない深刻さを未来に生み出すだろう。排除をしないという態度は、自分にとっての不利益を受け止めるということでもあるし、暴力に対してNOと表明しつつも潔白さを約束しきれないグラデーションの中で藻掻き生きるということでもある。その上で、私は自分に苦痛を与えるものとも、不快感とも付き合っていきたい。予定調和的にいかない世界を、不条理や狂気を愛すること(合理的でない、快適さが常に約束される訳ではない社会で生きること)を諦めたくないのである。気味が悪いと指差され疎まれ続けたって構わないから、あなたが出発しいつか帰ってくるこの駅の踊り場で叫び続けさせてほしい。

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気が付けば、いつの間にか誕生日を迎えていた。当日はこちらで出来た友人と過ごした。コペンハーゲン大学の講義に忍び込み、水辺でケーキを食べ、デンマーク語で祝福の歌を唄ってもらった。

嬉しいことは続き、夏以降、奔放な人たちが日本から会いに来てくれていて、来月には3人目と会う予定。そして過去にデンマーク留学経験があり日本で自死遺族のサポートをしている人と知り合い「人生の過渡期というテーマで話してほしい」と依頼され、初のラジオ出演をした*7。また、ZINEを読んでくださった編集者のイワイさんからの依頼もあり、ストリップ関連誌の寄稿もした。下記『ストリップと読むブックガイド』では一番最後に文章が掲載されている(ハム名義)ので是非お手に取ってみてください。来月の文学フリマ東京37では合計3ブースで、関わった書籍*8が販売されます。

デンマークに来て5ヶ月。折り返し地点に入った。本日ようやく必要書類が揃い住民登録の申請が出来たが(でもやり直しになったらどうしよう)、これまで特定の誰かに定期的に近況報告もしていない、情報発信さえほとんど出来ていない状況があった。

 

なので、11月4日(土)夜、近況報告を行うことにしました。生活が厳しくなってきた話をしたらサバイバー仲間が応援の声掛けをしてくれて企画が実現。バースデーカンパも呼びかける予定です。(以下詳細・申込)

https://peatix.com/event/3740124/view

告知から日が短いですが、アーカイブは残さないので、近況を気にしてくれている人には是非参加いただきたい。そもそも何故デンマークに来ているのかも、改めて話せる機会にできればと。5月下旬からのデンマークでの日々、9月・ウィーンの世界精神医学学会そしてチェコ訪問、10月・6年ぶりのイタリア再訪についてなど、お話できればと思います。

どうぞよろしくお願いします💌

*1:悔いはないと同時に悔いがありすぎたことが今海外にいる理由でもある

*2:デンマークに来たばかりの頃、ドミトリー宿で知り合った

*3:同時に、家庭内や身近な人間に暴力を振るう人権活動家、〇〇(対人支援・ケア職、教師、アーティストなどが私の中では浮かんでいるが、それ以外が浮かぶ人もいると思う)として名誉や社会的承認を得ようと必死な人(というよりも〇〇に国家予算を十分充てられない国、生計が成り立たず少ないパイを巡って競争するしかなくなる構造)に対する悲しみと憤りの入り混じった批判感情も覚える

*4:【翻訳】パレスチナ人の命も守れ:ユダヤ人の学者ジュディス・バトラーイスラエルの「ジェノサイド」を非難 / カフェ・フスタート運営の方による文章 https://note.com/bashir/n/n78fb1d686563?sub_rt=share_pb

*5:実際にそういうことを高らかに主張する人もいる。自身の加害性を突き付けられるような身近な人間関係には目を背けながら、正しい自分に酔いしれる人は信じられないほど多い。そして他者の不幸を理由に自分の傷を過小評価してしまう人も多い

*6:アジア人の見た目だからか、いきなり路上で肩を殴られたことが一回あったけど、またそれとは別の次元の暴力形態

*7:放送日は後日お伝えします

*8:

『イルミナ』:寄稿文掲載本(第5号)とZINE『添い寝と生還』委託販売

『ストリップと読むブックガイド』:寄稿文掲載本

『ポリーウィーク2023』:対談インタビュー掲載本